気に入らない現実は、気にしなければいい。

正月には縁起的にやってはいけないことが(あるネットサイトでは)6個ある、とされている。

私は、例年通り今年の正月もそれらの制約を守ろうと努めたけど守りきれなかった。

具体的には、ガスコンロの火を使い、食器を洗い、四つ足動物を食べてしまった。

火を使わないのは無理だなとそれに対しては仕方がなく思ってたけど、

食器を使い、そしてそれを洗ってしまったことに対しては、「せっかく紙皿と紙コップの準備があったのに」と、後で後悔することになった。

また、正月に四つ足を食べてはいけないということを知ったのは、元旦に豚肉を食べた後だった。この制約を破ってしまったことがなんだか一番ショックに思った。

そうなったのは、確認不足もあるし年末の準備ができてなかったのもあるし、そもそも私は掃除すらしてなかったではないか・・というふうに、アレもできなかったコレもできなかったと思いをめぐらしていたら、正月早々暗い気分に陥っていた。

そのうちに、そんなふうに暗くなってる自分に気付き始めた。そして、できなかった上にそれを理由にせっかくの楽しいはずの正月をつまんなくしてしまうのはバカバカしいな。と思った。

 

そしたら、

『気に入らない現実を変えたければ、現状を語るのをやめること。』

というhappyちゃんの言葉がふと頭をよぎった。

その瞬間、

「そうか!気に入らない現実は、気にしなければいいんだ。」

ってことに気が付いた。

 

それはどういうことかを説明したいと思う。

これは、意識や思いをエネルギーとして考えてみると簡単だ。

 

あと、ここでなんだけど、

私が最近読んでいるエイブラハムの本の内容をあげる必要があると思う。

 

そのエイブラハムの本には、『世界は、意識し思考することで、作られる。

意識したり思考することで、その対象にエネルギーが与えられる。』

みたいなことが書かれている。

 

そうであれば、

エネルギーを注がないということで、

現実を消す

ことも可能なはずだ。

気にしなければ、それにエネルギーは向かわないし注がれない。

そしたら、その現実は

消えるほかない。

 

できなかった私は、それを気にしないことでそのうち消えてくんだ。

そればかりか、望まない現実は全部この方法で消えてくのだ。

 

あと、許すというのも、気にしないと同じ効果をもたらすと思う。

 

例えば、

できなかった私のことを、気にしない。

→できなかった私のことを、許す。

 

というふうに、「気にしない」を「許す」と言葉を変えても、意味合い的には似てる。

「気にしない」を「許す」と言葉を置き換えても良いだろう。

そして、許すという言葉になるとやさしい感じがプラスされる。

 

これまで、気にしなかったり許すことって、「諦める」みたいな、受け身で消極的な印象があったけど、

実際は、現実に対する積極的で強力なアプローチだったんだな。

 

ということで、

皆さんも、この「気にしない」「許す」のチチンプイプイを使って、望まない現実を意図的に消して行きましょう!

 

 

それではまた。